2017年5月8日月曜日

第15回 シュールな笑いとは

ええ、ええ、ええ
何でお前みたいなクソガキがこんなの語ってるのかっと。

ま、俺のブログだかんな!

正解じゃないかもしれん、
反論があるならぶっかけてこいや!

まず、笑いは芸だけど、芸術じゃない
お笑い芸人は、芸術家じゃない。
シュールな絵、シュールな映画、シュールな音楽
こういうのを作るのは、実は難しそうで、
そんなに難しくない。
なぜかというと、笑わそうとしてないから。

笑わそうとしていないシュールな作品は、
ただ現実離れすればよい。
現実離れしているものを思いつくには、
想像力だけあれば十分。
ま、想像力がすごいのも、
すばらしいことだが、
シュールな笑いを作るには、
想像力だけじゃ無理だ。
観察力と連想力が必要だ。

観察力と連想力
シュールな場面や、シュールな会話など、
それだけだったら笑う要素がないはず。
結局笑いというのは裏切りであり、
裏切りとは期待してたことの逆である。

でもあまりにも現実離れしていて、
観客とまったく共通点のない世界観だったら、
なにを期待すればいいのかさえ分からない。
ゆえに、笑いは起こらない。

そこで、観察力と連想力が働く。

普段生活している人を観察し、
まだ言葉にさえ具現化されていない
いわゆる「あるある」な光景や、
場面、感情、瞬間を、
非日常な世界の中のものに
連想して、リンクして、
それを舞台で表現する。
ん。。。。。

そんんんなむずいか??
その顔やめろや!
詳しく解説してやるぅ

もうべたになりつつではあるけど、
例えば、登場人物の中に、
一人だけ違う生き物だったりする。
しかし、誰一人それにツッコミをいれない。

そうだな、例えば、一人だけ半魚人になってる。
それは、現実や日常ではありえないこと。
はい、その時点でシュールだ。
でも、まだ笑えないんだろう?
ただのシュールは、ただのシュールだ。

でも例えば、周りの人が、
この半魚人がいないときに、
この半魚人の悪口を言ってるときに
「あいつ、いっつもぬるぬるしてんな」
「あいつ、スタイルが悪いって言うか、
体のバランスがおかしいよな」
「あいつ、なんかくさいよな。
魚みてぇなにおいするよな」
とか言ったりしたら、
面白いんだろ?

それはなぜかというと、
ここに一つ言語にさえ具現化されていない
「理不尽」があるからだ。
その「理不尽」をあえて文章で説明すると、
「この半魚人のこういうところは、
別にコイツのせいとかじゃなくて、
そういう生き物だから。
そして、早く半魚人であることを気づけよ」
ということになる。

逆に、半魚人が家に戻って、
同じ半魚人の兄弟に
人間の悪口をいうのも
面白いよな。
あんまり思いつかないけど、
「あいつら、水の中で息ができないくせに、
めっちゃ泳ぐのが好きやねん」
とか?笑

これは、相当シュールだと思うな。

シュールな笑いだと勘違いされる例
最近は本当に、自称シュールが多いね。
シュール=かっこいいみたいな。
シュール=スベッたときは客が悪いみたいな。

違うんだよ、お前らがやってることは。

例えば、紙芝居的なネタ。
バカリズムの「トツギーノ」はシュール、
ZAZYはシュールじゃない。
流れがないし、共感がまったくできない。

例えば、空気を崩す系の一発芸。
ホリケンは、シュール、
かたつむりは、シュールじゃない。
やろうとしてることが伝わらない。

他になんだろうな。。。
あまりにも売れてないやつは書けないからね


ま、今回はこんなもんにしとこう

じゃな

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