2017年4月19日水曜日

第10回 今日の面白かった量子力学の授業

2017年4月14日 5:05

第10回 今日面白かった量子力学の授業

テーマ:真面目な話
量子力学?難しそっ!

いざ授業を受けて見たらね、
やっぱ難しかったわ。

従来の物理学との違い
従来はね、物質っていうのは、
ちゃんと計測すれば、その物質の
特定の「時刻」においての「位置」は、
誤差がほぼゼロで測れるもの。

でも量子力学では、
ものすごく小っちゃい物質の場合、
それが正確に計測できなくなるという、
結論に至ってる。

正確には、量子という物質は、
俺らが計測をするまでには、
なんと、
存在さえしなかったんだ!
という。

もっと詳しく言うと、
例えば今日の6時20分02秒の時刻に、
ある量子が(x、y)という位置にあったと、
俺が計ることによって分かったとする。

じゃあ1秒前の6時20分01秒に
この量子は同じく(x、y)にあったのか?
それとも(x+1、y+1)にあったのか?
それとももっと違うところにあったのか?
量子力学に問いかけたら、
「いや、この時点では、
この量子はどこにもなかったよ」
と返される。

おかしな学問だろ?

アインシュタインの反論
アインシュタインはずっとこの学問を認めなかった。

アインシュタインが思うには、
その量子は、ずっと(x、y)にいたし、
それを証明できないのは俺らの知識や研究が
まだ足りないだけ。

Bohrという人はそれに反論する。
バチバチやりあってたらしい。
Bohr-Einstein Debateで検索して見てください。
Einstein Boxとか結構面白いです。

ってなんで敬語やねん。

俺の考え
俺は別に研究者になるつもりはない。

ただ、伝説のコンサルタント、大前研一さんは、
経済学とかじゃなくて、
量子力学や原子力学を勉強してたらしい。
それをビジネスの世界に応用してる。

俺も、昔からビジネスや投資の世界は、
実は数学的で、確率的で、理系的な世界だと、
思ってる。

だからこの量子力学という考え方は、
投資にも通用すると思う。
どう通用するのは、
これから模索しないと行けないな。


え?
分かりにくい?

んー、ま、今回はしょうがないか

2017年1月21日土曜日

第9回 松本人志x宮本茂の対談を見た後の感想

まず言っておきたいのは、
俺は大の松ちゃん好きだ。
番組と映画はほぼ全部見てるし、
本も結構読んでるし、ラジオも未だに聞いてる。

そして、ゲームはそこそこやるけど、
そこまでゲーマーじゃないし、
宮本茂という人物もこの対談で初めて知った。
すごい人だね。間違いなく歴史に残る名前だわ。

では、さっそく

マニアックなものV.S.普遍的なもの
抜粋: 松本:「普遍的なものをつくりたいという意識は強いですか。」
。。。
宮本:「スーパーマリオが売れて、みんな褒めてくれる。でも、褒めてくれる内容の半分くらいは、スーパーマリオじゃないくて、ほかのゲームでもやっていることだったりする。
つまり、スーパーマリオ以外のゲームを知らない人が多い。みんながゲームを全部知っているわけじゃないんです。でも、ゲームの仕事をしていると、ゲームを知っている人ばかりと付き合うので、間違うんです。」
松本:「すごくよく分かります。」
松ちゃんは共感するだろうねぇ。
みんながみんなずっとお笑い番組を見てるわけじゃないし、ネタを進化を知ってるわけじゃない、だから新しいことを始める時に、どれぐらい進んだらいいのか毎回悩むでしょうね。

例えば、元々テレビでノリツッコミをやってる人がいなかったとする。それが、5年前に深夜番組でAさんという芸人がやり始めたとする。それがコアな笑いファンや他の芸人にものすごく受けたと。そして5年後の現在、Aさんはゴールデンで「ものすごく長いノリツッコミ」というノリツッコミをやって、それが全国的に爆発的に受けたとする。笑いをずっと見てる人は、「ノリツッコミをさらに進化させたなこいつ」という意味で受けるけど、5年間ずっと笑いを見てない人からしたら、「なにこれ!一旦乗ってからつっこむのおもろいなぁ!」と、ノリツッコミ自体に受けてる。でもこれは実は5年前からもずっとやってることであって、何も新しくない。
そしてAさんを中心に一回ゴールデンで1時間やろうとなった時、「普通のノリツッコミ」にフォーカスを当てるか、「ものすごく長いノリツッコミ」にフォーカスを当てるか、考えなければならなくなる。この決断によって、マニアックな回になるかどうかが決まる。

オリジナリティ
抜粋: 宮本: オリジナリティへのこだわりというよりも、みんながやるパターンにのると、それ以上のものを出さないとダメですよね。でも、独自に考えたものは、仕上げる余地がある。みんな怖いので安全なところに置きたがる。でも、そういうところに置くのは、同じようなものがたくさんあるので目立つのが難しい。でも、独自のものを置くのはあぶないけど、ラフにおいても周りが開いているので。あと、そのほうが仕事楽しいんですよ。
松本: 本当にそうなんです。僕も、同じこと言ってるんですけど。言い換えると少し、卑怯なんですけど。
ビジネスの戦略でいう「ブルーオーシャン戦略」だね。
すでに存在する戦場で戦うのではなく、まだ相手さえいない戦場に行って、そこの王者になると。
確かに松ちゃんの言う通り、ちょっと卑怯ではあるね。
でも実はこれは既存する戦いに参加するよりもリスキーなことであり、思いついてもなかなか行動には移せないものである。
「結局このフィールドにみんな行ってないのは、みんな気づいていないからなのか?それともみんな気づいてるけど損しかしないからみんな行かないだけなのか?」という葛藤があるね。

先の例をそのまま使うと、Aさんは「普通のツッコミ」をすれば、プロヂューサーに怒られることはないけど、目立ったりもしない。そして、「ノリツッコミ」という技法を発見するけど、テレビでやるかどうかを決めないといけない。しかしこのノリツッコミというのは、他の芸人さんみんなできるけどあえてやっていないだけなのか。それとも自分が第一の発見者なのか。そういう葛藤がありますね。

まとめ:
松ちゃんの質問、全部抽象的すぎるよ!笑

ま、それも松ちゃんらしいけどな。

あとゲームとお笑いはやっぱちょっと違うから、それぐらい抽象的な話をしないと、お互い共感できないかもしれないね

第8回 映画評論 50/50(フィフティ・フィフティ ) 7点

50/50(フィフティ・フィフティ )
ジョナサン・レヴイン
7点/10点

あらすじ:
酒もタバコもやらない普通の青年アダムは27歳でガンを患い、生存率50%と宣告される。同僚や恋人、家族は病気を気づかってどこかよそよそしくなっていくなか、悪友カイルだけはガンをネタにナンパに連れ出すなど、いつも通りに接してくれていた。アダムはなんとかガンを笑い飛ばそうと日々を過ごしていくが、刻々と進む病状に次第に平穏を装えなくなってしまう。カイル役のセス・ローゲンが製作を務め、ガンを克服した親友の脚本家の実体験をもとに映画化した。(映画ドットコムより)

全体を通して言えること:
ストーリー自体は新鮮味がなく、キャスティングもそこそこ売れている役者さんばかりをきようしているので、「無難」な映画を作ろうとしているのが伝わる。でもま、こういう映画もあっていいじゃないか。「なんでもいいから感動して泣きたい」という需要やはりどの時代にもありますから。そういう意味では、ちゃんと笑いあり、涙ありの映画にはなってるし、どんな人と一緒に見ても楽しめる作品になってる。

よかったところ:
やっぱりこの作品に出てる役者さんはみんな演技がうまい。
主人公を演じるジョセフはガンになっても、彼女に浮気されても、友達に利用されて(ると勘違いして)も、怒らない。でも手術の前日の夜にはやはり抱えきれず、車の中で叫んでしまう。そこらへんはやはりナチュラルでかつリアル。
主人公の友達を演じるセスはちゃんと普通に接そうとする演技ができてて、浮気した彼女もちゃんと自分の葛藤を観客に伝えている。他の役者さんもみんなすごい。演技っぽい演技をしていない。

クライマックスまでのストーリーの進み方もスムーズでいいと思う。淡々と。
淡々とガンになって、淡々とまわりのみんなに教えて、淡々と彼女の浮気がばれて、淡々とかわいい心理療法士と出会って、淡々とがん治療のお年寄りな仲間ができて、淡々とその中の一人が死んでしまうという。
この淡々さがあったからこそ、手術の前日と当日がちゃんと重く感じちゃうし、泣ける。

普通はバッドエンディングのほうを望んでしまう俺だけど、この作品に限ってはハッピーエンディングのほうが断然正解だったと思う。なぜかというと、やはり全般的にコメディカルな作品だし、もしバッドエンディングにするならもっと主人公の夢とか描かないと意味ないし。

悪かったところ:
心理療法士とのラブストーリーはいらんやろう!ボケ!!
なぜ二人は恋に落ちたのかまったく描いていない。
その心理療法士は特に何の役にも立ってない、むしろ経験不足だから主人公を怒らせてばかりだ。そして主人公も別に特別にこの心理療法士のためになんかやったりしてないし。
なんでもいいから、恋に落ちたきっかけを一個くれよ!
でもそもそもこの恋はストーリーを邪魔してるだけで、いらん!

そしてこの映画の一番伝えたいことがよくわからん。以下の4つのどれだ?
1. リスクが大嫌いな主人公(赤信号は絶対渡らない、交通事故が怖いから免許を取らない、たばこも酒もやらない)でさえガンになるから、人生は不公平だ。
--だったりもっといかにリスクが嫌いかもっと描かないといけないし、バッドエンディングのほうがいい
2. ガンになってはじめて気づくものがある(お母さんの愛情と孤独、本物の友情、自分に一番合う女のタイプ)
--だったりエンディングは新しい彼女とピザを食べるシーンじゃなく、親と友達と彼女と一緒になんかやるシーンのほうがいいし、いかにガンになる前の主人公はこういうのに気づいてなかったのか描いてほしい。
3. ガンになったら、結局友達が一番いい(彼女はよそよそしくなる、親は過度に心配になる、医者や心理療法士は事務的すぎる、でも友達だけはいつも通りに接してくれる)
--だったら余計にその心理療法士とのラブストーリーはいらんやろう!!そしていつも通りに接すてくれてる友達の葛藤も描かないと
4. 普通に、「ガンになったらこんなことが起きるよ」と描いたドキュメンタリー的な映画
--じゃあやっぱラブストーリーはいらん!そして主人公はもっと普通の人の反応をみせてくれ!クールすぎるやろう!

まとめ:
言っても7点はあげてるからね。
みんなにみてほしい映画ではある。
あまりこう、なんだろう、「見終わったら分析してやる!」みたいな見方ではなく、
「ストレスたまってるから、ちょっと泣こう」という軽い気持ちで見たほうがいいかな?

2016年9月24日土曜日

第7回 映画評論 奇人たちの晩餐会 USA 8点

奇人たちの晩餐会 USA (Dinner For Schmucks)
ジェイ・ローチ
8点/10点

あらすじ:
フランシス・ベベール監督の仏映画「奇人たちの晩餐会」(98)を、スティーブ・カレル&ポール・ラッド主演でハリウッドリメイクしたコメディ。会社で出世コースを歩むティム(ラッド)はボスが毎月開催する風変わりな晩餐会に出席することになる。その晩餐会とは、出席者それぞれが奇人変人をひとりずつ連れてきて、その可笑しさを競い合うという悪趣味なものだった。ティムは誰を連れて行くか迷っていたところ、たまたま車で轢いてしまった中年男性バリー(カレル)を連れて行くことにするが……。監督は「ミート・ザ・ペアレンツ」シリーズのジェイ・ローチ。(映画ドットコムより)

まず言っときたいこと:
リメイクだったのは知らん。リメイク元も知らん。俺はこの映画自体について評論する。
そして、この映画を見て「笑えない」って言ってたやつはこれを読むな!!
お前らが悪いんじゃない。。。ま、アメリカのこういう笑いが理解できないお前らが悪いわ。
でもお前らのせいではない

全体を通して言えること:
ZachとSteve CarellとPaul Rudd、コメディの俳優としては最高!!!
そして、アメリカ映画ではよく見る
「いろんな誤解が生まれたことによって破局する」
という系統の映画の中ではトップクラスの「誤解」を描写した。
細かいところがめっちゃ笑える。これは英語が理解できないと笑えないところが多かったと思う。
でも、エンディングは最悪!!!

良かったところ:
なんといってもアホのバリーによって生れた「誤解」がとにかくリアルでしんどい。
そして、ティムとティムの彼女の対応もリアル。
他の映画を見てた時に、俺がよく思うのは、
「こんなの、男のほうがちゃんと説明したらええやん」
「いやいや、これは女のほうが話を聞かなさすぎやろ」
「そもそも、こんな誤解が生まれるわけがないやん!」
でもこの映画の中の出来事は全部ありうることで、
そして彼氏の対応も全部理にかなった対応だけど、
毎回ちゃんと説明しようとしたときにまた絶妙なタイミングに、
新たな誤解を招いてしまう。

もう一つはやっぱりバリーとバリーの上司のアホさ加減。
これがね。。。。日本にはない笑いだと思うな。。。
だから日本人には伝わりにくいし、どこで笑ったらいいのか分からない。
根本的に言うと、ツッコミがない。あったとしても、あまり強くない。
そして、「これは、笑っていいのか?」という状況になるから、
面白くても爆笑はできない。
でも俺はアメリカのシュールな笑いをたくさん見てきたから、
これがちょうど俺のツボ。

悪かったところ:
やっぱりエンディングだね。
映画の終盤、
ティムの人生がどんどんどん底に落ちていく。
彼女が「本当のティム」を見てしまい、ティムのことが嫌いになって、出ててった。
(これはもう、普通の喧嘩とかじゃないでしょ?もう本当に嫌いになったってことでしょ?)
そして、ディナーの最後の最後で、良心が出世したいという願望に勝って、上司やクライアントとやり直せないぐらい悪い関係になった。
さ、どうなる。

。。。

え!?!?!?!

こういう終わり方にするの???

ま、ネタバレをすると、
彼女のほうは、たまたま忘れ物を取りに来たときに、たまたまティムがバリーに自分が彼女に対する本当の想いを告げてたのを見てしまい、それであっさり仲直り、と。
仕事のほうは、あっさりやめた、と。

しかも映像ではなく、バリーのナレーションでいろいろな伏線を回収した。
無理やりバッドエンディングをグッドエンディングに変えた。
ナレーションで。後述で。

まとめ:
あとあじは、確かに悪いけど、
見てる時は結構いろんな感情が湧いてきて、楽しかった。





2016年9月4日日曜日

第6回 今日面白かった経済学の授業

「行動経済学」という授業です。

教授の論点:
- 人々の選択・行動はそれぞれの「優先傾向」で決まる。
- しかし、その優先傾向は時と場合によって変わります。
- この優先傾向が変わることによって、人々は「損」する
  例えば、「俺は食べることより痩せることを優先するから、昼飯を抜く」という選択をするけど、
        実際昼飯の時には、「俺は痩せることより食べることを優先するから、昼飯食べる」
  よって、俺は太ってしまい、「損」をしてしまう
- だから、政府は人々の選択肢を削ることによって、人々を幸せにできる

リンゴ一つ・二つの例:
経済学者は多くの人に、二つの質問を聞いた。
一つ目は、「A.1 リンゴ一つを今日もらう」と「A.2 リンゴ二つを明日もらう」、どっちがいい?
二つ目は、「B.1 リンゴ一つを一年後にもらう」と「B.2 リンゴ二つを一年後の翌日にもらう」
どっちがいい?

もし「優先傾向」が変わらないものでしたら、
A.1を選んだ人はB.1を選ばなければならない、
A.2を選んだ人はB.2を選ばなければならない。

多くの人はA.1とB.2を選んだ。

だったらどういうことが起こるかというと、
一年後になったら、元々もう一日待ってからリンゴを二つもらいたかったけど、
結局一つ目の質問に戻ったことになり、その日にリンゴを一つだけもらう。

これは、政府がB.1という選択肢を排除することによって、
人々は元々のプランを実行することができる。

俺の反論:
アホか!
俺はな、確かにな、366日後にリンゴを二つもらえたらいいなぁと思ってるよ。
でもそれは今の時点の話じゃ!
一年後の俺と今の俺は違う人間じゃ!
だから365日経った時に、俺は多分砂漠のど真ん中のいるかもしれへんや。
もう一日経ったら、死んでまうかもしれへんで!
すぐリンゴ食べたいんやん!

昼飯の話は、また違う意味でアホな例ですわ。
「昼飯を抜くわー」つって、結局誘惑に負けたなら、
それは確かに「失敗」です。ダイエットの失敗・

でも人生は長いもんですよ?
この失敗から、俺は弱い自分を見つめることができ、
今度からは誘惑にもっと強くなる!
逆に、もし俺が毎回誘惑に負けるなら、
多分俺はそこまで痩せたいと思ってないし。

要するに、政府が人々の選択肢を制限することがいいことは、
ナンセンスだ!!!!!


2016年9月2日金曜日

第5回 映画評論 風立ちぬ 6点


宮崎駿
6点/10点

あらすじ
こちらを参考にしてください:
http://hayao-ghibli.seesaa.net/article/366784080.html

全体を通して言えること:
いいか悪いかは置いといて、独特なストーリーで、独特な見せ方ではある。
独特な見せ方というのは、要するに、
説明が少ない、そして断片的なシーン
そして、これといったクライマックスがない。

もちろん、言葉遣いや、声優さんたちの控えめな演技なども独特である。

悪かったところ:
その一: 分かりにく過ぎる!
いや、誤解しないでくれ。
たとえばね、北野武の映画とか、ジャン=リュック・ゴダールの映画とかもそうなんだけど、
無駄な説明も、過剰な演技も一切なくて、
俺はすごい好きなんですよ。
こんな俺でさえね、この映画が分かりにくいって言ってるんですよ。
恐らく、このストーリーとこの見せ方はアニメには不向きではないかなと思う。
主人公の表情がまったく読み取れない。
自分の作ってるものが戦争の武器になっている葛藤、
彼女と一緒にいたいけど、本当は山の上に返すほうが彼女のためだという葛藤、
彼女を愛している、でもそれ以上に仕事を愛してるという葛藤、
まったく見えてこない。

その二: 伝えたいことが分からない
この映画のテーマはなに?
愛情?戦争?夢?友情?選択?生きること?ただの感動?
ま、一つに絞らなければならないという約束はないけど、
やっぱりいろいろ盛り沢山すぎると、
観客は見方が分からないと思う。
ていうか、最後のシーンを見て涙流すやつは、
ただ「うわ、愛してる人が病気で死んだ、悲しい!」という感情になっただけでしょう?
アホか!韓国のドラマでも見とけ!

その三: 理にかなってないところが多い
これは宮崎駿の変わらないところなんだけど、
子供っぽいという、幼稚というか、
「ファンタスティックなもんは説明いらんねん」みたいな考え方ですかね。
千と千尋の時もそうなんだけど、なぜそうなる?という説明がまったくない。
これに関しては松本人志が千と千尋について書いた映画評論を参考にしてくれ。
話を戻すが、この映画の理にかなっていないところは、
まずね、なぜこの主人公は何にも動じないのか?なぜ常に冷静なのか?
そして、なぜサバの骨のカーブがちょうど一番いいカーブなのか?
なぜ主人公は会社でエリート扱いなのか?

いや、分かるよ?ちょっとだけヒントになってる細かい描写もあるけど、
あるいは大して説明しなくてもいい部分もあるけど、
でもやっぱりこういうのは丁寧に説明しないと、
リアル感が感じない。

良かったところ:
ちゃんと表現できたかどうかは置いといて、
表現したかったものは極めて深い。

要するに、前にも書いてあったけど、
戦争は嫌いだけど、戦争があることによって自分の夢がかなえられる葛藤、
そして、
本気で愛してる人はいるけど、そんな人よりも自分の夢を追いかけるほうが大事だという、
悲しみ?
そして、自分の国が敗戦し、自分が作った飛行機は一機も戻ってこなかった。
かといって、後悔はまったくない。

いや、深いよ!でも監督の仕事はそれを観客に分からせることだろう!


2016年8月26日金曜日

失憶158 (四)

四,

  有一些是驚慌的臉孔,有一些是憤怒的臉孔,更多的是疲倦而又無奈的臉孔。

  我看着這些臉孔,尖叫着跑出了早餐店。

  當我再次醒來的時候,天空在飄着小雨,而我只覺得我的周圍。。。
好臭。

  我坐起身來,環顧四周之後,發現我大概是在一條小巷內,旁邊是一個綠色的大垃圾箱。兩三只黑貓在爬來爬去,但完全沒有看我一眼。

  我擡起頭,一邊伸出舌頭去用雨水來解渴,一邊開始分析現在的狀況:

  第一,我的大腦和剛才的西裝男對調了。

  第二,我失憶了。我不記得任何關於以前的我的東西。

  第三,我的語言能力可能出了一些問題。我不懂周圍的人的語言,也不知道自己正在用什麼語言和自己說話。

  我現在應該幹些什麼?應該去哪裏?應該爲了什麼而繼續活下去?

  過了很久,我才終於走出了那條小巷。

  昏昏蕩蕩地,我拖着這幅不屬於我的身軀走過了很多個街口。每當我看見十字路口是紅燈,我便右轉。每當我又轉一次,我便在下一個路口左轉。我不知道我爲什麼這麼做,只覺得起碼這比一路直行有趣。

  走着走着,在一聲嚇人的雷聲降下後,雨突然地大了起來。

  我本能地走到身旁的一間餐館門前,在屋檐下避雨。但就在我無意識地轉身瞄了一眼店內的裝飾時,我的左右手臂上忽然起了一層雞皮。

  這間無疑便是我早上吃早餐的那間餐館!

  先不說裝修和桌椅的擺設是一模一樣,今早畫畫給我看的中年女子正站在櫃檯後,並在發現我之後對我點頭笑了一笑。

  這到底是怎麼一回事!

  早上我從這間店尖叫着跑出去之後的事情,我一點都不記得。而從我醒來的地方到這裏,我是完全按着自己給自己設定的無聊規則去走的。怎麼可能這麼湊巧?

  如果說,正如我當初假想的,我是被人放進了一個電腦世界裏面。的確,“他們”有可能在我走過來躲雨之後,再把我身後的這家餐館設定爲我在早上來過的這一家。在電腦程序裏面,沒有什麼是不可能的。

  但是,早上的西裝男已經明明確確地告訴我,我只是被調換了大腦,所以我應該是處在一個真實的世界裏面。。。

  難道,西裝男說的都是謊話?

  難道,他說的話,只是想讓我對現狀有一個解釋?而事實是,我的確實在一個電腦程序內?

  絕對是這樣!早上他對我說了那番話後,竟然突然間消失了!在真實世界裏,一個人怎麼可能憑空從我面前消失!

  若是這樣,西裝男的真正。。。

  “哐啷”

  店內的中年女子打開了店門。

  她溫柔地笑着看我,然後緩慢地做了一個,請進的手勢。

  自從早上她把食物畫出來給我看的時候,我已經對這個中年女子十分有好感。她是在這邊這個世界裏唯一對我微笑的。

  我剛擡起右腳想走進去時,突然記起我早上還沒有付賬。然後我把手伸進我的褲袋裏,但理所當然地,裏面沒有任何東西。

  我尷尬地望向她,大動作地拍了拍我的褲帶,示意我沒有錢。但潛意識裏,我彷彿已經知道她仍然會讓我進去,甚至給我一大杯熱飲。

  果然,她笑着搖一搖頭,又再次做了請進的手勢。

  店裏面沒有什麼客人,只有一個學生模樣的坐在角落,和一個鬍鬚男靠着窗坐着看手機。

  我挑了另一個角落,坐下,然後等中年女子拿筆和紙過來。

  當她從櫃檯折返過來時,我第一次認真地觀察了她。她的身高算是嬌小,一頭不到肩的黑色短髮,法令紋和額頭上的皺紋暴露了她的滄桑。應該已經四十出頭了吧。腰和腿都十分的纖細,胸部大概是A罩杯。。。不可以,我怎麼可以用這種眼光去看一個對我這麼友善的好人!

  正如早上一樣,她有試探性地用他們的亂碼語問了我一句話,但見到我的困惑後,她便拿出了四張照片。第一張我很肯定是牛奶,但第二三四張看起來都像是咖啡。應該是幾種不同的咖啡?或者是奶茶和熱朱古力?

  我隨便地指了一指第四張,對她努力地擠出一點笑容,然後點了點頭。

  後來我回想,如果我這時點的是牛奶,而不是那杯咖啡因極重的濃縮咖啡,或者,事情的結局,會有所不同。

  就這樣,我默默地喝着這杯不停被那位中年女子倒滿的咖啡,直到天黑了下來。